March 07, 2008

出国~ネパールへ


 1916(現地時間1816) 広州(深浅空港)着、トランジットが1時間半しかないのであわただしく空
港を駆け抜ける。せっかくなので初中国を楽しみたかったのだが。

 0135(現地時間2220) カトマンズ着。約5時間のフライト。

 カトマンズは思ったより冷える。その
ままホテルサミットに直行。ホテルサミットはカトマンズ市内の南側の高台に位置し、カトマンズ市内が眺望できる高級ホテルだ(もっともこれを知ったのは翌日の朝だが)。夜も遅かったが、せっかくなので同室になった人とバーに行って無事の到着を乾杯。

 ヒマラヤビールという現地のビールは喉越しが良く、大変お
いしい。バーテンダーをやっていたベンという気さくなバーテンダーは日本でネパール語を習ったガヤトリ先生の知り合
1440 出国(離陸)

 人生初のビジネスシートを堪能する。ビジネスシートでは機内食でも途中でプレー
トが入れ替えられるのを初めて知る(「すし」から「ポーク」へ)。

 ただ、機内上映でX-Men3がやっていたものの、機器の調子が悪く、
上映が所々で途切れたりするのが残念。チャイナサザンエアーだけあって上映する映画までコピーDVDを使っているのか?

 もちろん英語上映に中国語の字幕ということで、映画のストーリーを追うのに精一
杯であまり楽しむ余裕はなかったが。。。約4時間半のフライト
いというが本当だろうか?・・・
  

Posted by straysoldier at 22:48Comments(0)TrackBack(0) Mission in Nepal 

March 02, 2008

UNMINへの陸上自衛官派遣の経緯について

東アジアにおける最貧国に数えられるネパールでは1980年代以降、地方(農村部)において毛沢東主義(共産主義)勢力が主に王政に対する不満から急激に台頭した。

 そして、毛沢東派(マオイスト)の軍事組織であるマオイスト軍は、1996年、国王からの政権奪取を目的とした武装闘争を開始した。ネパール国軍(政府軍)との間での10年以上にわたる内戦状態を経て、2006年11月、ネパール政府とマオイストの間で包括和平合意(CPA)が締結された.

 その包括和平合意には、中立的な立場からの停戦状況の履行監視を可能とするために、国連に対し、政府軍及びマオイスト軍の武器及び兵士の管理の監視の要請が含まれていました。

 このため、国連安全保障理事会は、ネパール国からの要請に基づき、2007年1月、武器及び兵士の管理の監視、制憲議会選挙を実施するための支援等を任務とするPKO、国連ネパール政治ミッション(UNMIN)の設立を決定した。

 2007年3月以降、陸上自衛隊はPKO法に基づき、UNMINに対し、6名の自衛官を停戦監視要員(軍事監視要員)として派遣している。1年間の任期で派遣された各軍事監視要員は、政府軍及びマオイスト軍のキャンプに駐留し、包括和平合意に基づく停戦状況の履行の監視を実施している。

  
Posted by straysoldier at 23:39Comments(0)TrackBack(0) Mission in Nepal 

March 01, 2008

ネパールの地理・気候・政治について

 ネパールはユーラシア大陸の中南部、インドと中国という両大国に挟まれた位置にあり、乗り継ぎ時間を含めると日本から飛行機で約10時間、時差は3時間15分のところに位置する国だ。

 緯度でとらえると、おおむね奄美大島と同じ位置にあり、年間を通じて温暖な気候といえる(北部のヒマラヤ山岳地帯を除く)。

 国土は東西約800キロメートル。南北約400キロメートル。北はヒマラヤ山脈を有する寒冷な高山地帯、南は象やサイが生息する熱帯性の草原地帯が広がるという、地形・気候共に多様性に富んだ国です。

 気候は大別すると6~9月が雨季、10~5月が乾季であり、10~11月が空気も澄みヒマラヤへの観光シーズンです。12~2月には朝晩はかなり冷え込みますが、3月に入ると日中は初夏の陽気となり、4~5月はタライ平原と呼ばれる南部平原地帯では30度を超える日が多くなります。

 経済面では人口は約2千600万人を有するものの、主要な産業が農業と観光のみで、発展が遅れたいわゆる発展途上国の一つです。

 ヒマラヤ山岳地域を源流とする豊富な水資源などを利用すれば産業発展の可能性はあるものの、それらを有効に活用できていません。インド・中国という両大国に挟まれ、時々の両国の政策に翻弄されやすいという地政学的な要因が、ネパールの発展を妨げているのかもしれません。

 政治面では、200年以上続いた王制が、1996年以降のネパール共産党毛沢東主義派(以下、マオイスト)による反政府闘争の結果、終焉を迎え、議会制民主主義が取り入れられました。

 2008年4月に行われた初めての制憲議会選挙では、601ある議席のうち229議席をマオイスト党が占め、第一党に躍進、政権を掌握しました。

 しかし政権運営がうまくいかず、2009年5月、マオイスト党は政権を離脱し、同党を除いた連立政権が樹立される等、政治的混乱は現在も続いています。

 そのため、現在のネパールは、これまでの10年間反政府闘争を行っていた勢力が政権を掌握しているという状況です。

 このような経緯を紹介するとネパール人というのは争いの好きな人種というような偏見を持たれてしまうかもしれません。しかし、ネパール人は、モンゴル系の日本人に近い顔立ちをした人が多い一方、シャイな日本人と違い知らない人にも臆することなく気さくに話しかける等、非常にフレンドリーな気質を持った人々です。

  
Posted by straysoldier at 23:32Comments(0)TrackBack(0) Mission in Nepal