July 08, 2006

警衛下番

 今日からご飯は全てがレトルト食に切り替えられた。量も少ないのでカップラーメンで腹を満たす。

 風呂は水風呂。妙に冷たい。

 夕食は外務省職員の警備を行っている民間軍事会社コントロールリスクのスタッフとのBBQ。牛肉も出る豪華な食事。彼らはサマワ市内に買出しができるし、クウェートから持ち込んでいるので牛肉すら手に入る。うらやましい。。。

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                                           <コントロールリスクス社リーダのジェフ、元SASの精鋭だ>


 今日の新聞報道では撤収に関するイラク取材が防衛庁側の意向で取材中止と出ていた。

 撤収に関する取材に当たったのは毎日新聞を含め新聞5社と通信社2社、テレビ6局の計30人。職員は隊員全員がイラクから出てくるまで取材に応じられないと防衛庁がストップをかけたのだ。

 撤収部隊の移動情報を事前に伝えるとテロなど万一の事態を招く可能性が皆無とは言えない。そのための処置なのだが、マスコミは理解してくれないようだ。
  

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July 07, 2006

警衛

 今日で食堂喫食が終了。

 夕食はバイキングで残った食材が豪勢に振舞われているという。

 こんな日に警衛上番とはついてない。これから10日間以上、朝昼晩をレトルト食品で過ごすと思うとうんざりする。

 本日もまたコンボイによって車両の後送が行われる。

 厚生センターも本日まで。各種厚生物品の貸し出しも今日まで。

 風呂はいよいよ明日までとなった。



 早朝0610 英軍ヘリ「メルリン」により離脱する者達のタリフまでの移動が3派に分けて行われた。

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 その日のうちにタリルからC-130でクウェートまで出国。行き先はアリ・アルサレル空港ではなくムバラク空軍基地ということだ。

 (この宿営地からのヘリ出発の様子の写真が共同通信から配信されていた。宿営地内部からカメラでとったものと推定。出島のイラク人役務から共同通信社が買い取ったのだろう)



 サマワ宿営地は約800m四方の大きさ。2004年1月の派遣開始から2年半の間に隊員の宿舎や幹部の執務室などが銃撃されても耐えられるよう強固な平屋建てに立て替えられた。

 これらの施設を含め、もし宿営地を更地に戻すとしたら、それだけで2~3ヶ月かかると見積もられる。

 また冷暖房完備の耐弾式の建物やコンテナ類は地元にとっては大きな魅力である。撤収の際にこれらの施設を残すことが不満を解消し、自衛隊にとっての安全対策にもなる。

 大きな問題は現在、1日千人前後のイラク人を雇用している。これらの雇用を自衛隊撤収後もいかにして残すかということである。そのため他の雇用を見つけ出して斡旋してあげるところまで面倒を見る必要がある。

 そこで施設等はそのまま残し、全てを地権者に引き渡す予定だ。じごはイラク陸軍が駐屯地として使う予定とも言われている。

  
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July 05, 2006

撤収・帰国にあたっての注意事項

 ついにサマワ宿営地からクウェートにあるキャンプヴァージニアまでの移動計画が示された。

 それと共に、サマワ宿営地の食堂での喫食は7日まで(すなわち、それ以降はずっとインスタント食品)、風呂は8日まで(すなわち、それ以降はウエットティッシュで体を拭くだけ)ということも明らかになる。

 また明日以降、逐次、第1派からの帰国が始まるが、その事実は絶対に日本等へ連絡してはいけないことが徹底される。情報が部外に漏れることにより、出国のための移動日時が特定され、武装勢力の標的となることを避けるためだ。

 明日は第1派として、100人が宿営地を去ることが伝えられた。

 帰国に当たっての医療教育も実施された。

 帰国後の身体検査(血液検査)で多くの人がガンマGTPの低下や尿酸値の低下、空腹時血糖の低下などが指摘されるらしい。また顕著なのが中性脂肪の増加。カップラーメンなどのインスタント食品のとりすぎが原因であるらしい。

 現に帰国後に小隊の隊員(35歳)で中性脂肪の値が500という値にまで上がった隊員がいた。

 インスタント食品は体に悪いのである。  
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July 04, 2006

熱中症患者発生

 0935 警衛下番後、整備をしていると、2班の組長をやっていたK3曹が居室の前で倒れたという通報が飛び込んできた。

 駆けつけたときには既に医務室に運ばれたあとで、医務室に行ってみるとベッドの上で医務官の介抱を受けている。意識が朦朧としているらしく、医務官の診断では、重度の熱中症ということだ。

 警衛勤務は60度を越える直射日光下での勤務になるので消耗が激しい。1時間ローテーションを組み、外での勤務と休憩とを交互にとれるようにシフトを組んでいるが、それでも実戦環境下での極度の緊張を伴う勤務だけに警衛下番時には体の芯まで疲れきっている。

 結局、K3曹は宿営地医務室の設備では対処困難ということでMEDEVACを要請。イギリス軍のヘリ(メルリン)によりクウェートへの後送が決まった。

 1040 ヘリポートでK3曹を載せたヘリが飛び立つのを見送る。

 せっかく今まで2ヶ月あまりの勤務を一緒にこなし、あと10日あまりの勤務をこなせば日本に帰れるというときに一人の仲間を失うというのは本当に悔しい限りだ。そして、この気持ちは、きっと彼も一緒だろう。  
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July 03, 2006

警衛

 新聞情報によるとイラクの全治安権限がイラク暫定政府に委譲されるとのことである。

 そのさきがけとして、ムサンナ県MNFからイラク側への治安権限委譲式典が13日に大々的に行われるという。

 また来年3月には陸上自衛隊にCRF(中央即応集団)が創立されるが、その記事もあわせて出ていた。

「陸自、“戦地派遣”本格化へ苦肉の策?
 イラクでの施設復旧は100パーセント役務方式、旧日本陸軍が旧満州国で行った植民地経営に近い。渉外業務を行う業務支援隊の対外調整係長のもとに建設担当などの約10名の幹部からなるCIMICがある。
 彼らがムサンナ県の建設復興委員会と調整して復旧作業を決定、施設隊に作業を指示し、施設隊はイラク人を雇用し作業を行わせる仕組みだ。雇用されるイラク人は1日3千人にも上る。
 これらはオランダ軍のやり方を真似たものだ。根本的には危険を回避するための施策だ。
 しかしイラクに駐留する28カ国の中で、復興支援活動を目的にしているのは自衛隊だけだ。他国の軍隊は治安維持を任務に派遣されている。それぞれの国はCIMICを通じて復興支援を行うのは円滑に任務を進めるための手段でしかない。
 自衛隊の場合、憲法上の制約から武力行使を伴う治安維持活動は行えない。「できる活動」を探した結果が復興支援の分野だった。今後の海外活動も施設復旧を柱にするなら相当に「異色の軍隊」になる。
 外務省のODA(政府開発援助)のうち、無償資金援助を担当する「国際協力機構(JICA)」の活動と競合することになる。これは自衛隊がより危険な地域に押し出されることにつながる」

 まさか自分がCRF創立の時にその一員となるとは、このとき、夢にも思っていなかった。  
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July 02, 2006

迫撃砲弾

 夜2100頃 キャンプスミッティにロケット弾3発が撃ち込まれる。着弾点は細部不明。

 南部バスラのMNF司令官は宿営地内には着弾しなかったと述べる。

 警察によるとロケット弾はサマワ南部の住宅街から発射されたらしい。

 どうやらサマワ宿営地の近傍から発射されたもののようだ。

 撤収が近い中での迫撃砲弾。。。不気味な兆候だ。
 
  
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July 01, 2006

J任務(タリル空港)

 0530~
 予行実施。朝早いがみんな、緊張に満ちたいい顔をしている。
 先日の横転事故以来、初めてのタリルミッションであるので車両の整備や予行には最大限の注意を払っている。

 0650出発 「うに」を通過して、ボストン道に進入。

 ボス1を通過したところで突然、帰隊しろとの命令を受ける。

 豪軍のLOを呼び戻して仕方なく宿営地方面へ向かう。
 #0G付近まで着たときに今度は「やっぱりタリルへ向かえ」との命令を受ける。これだけ命令系統が混乱した原因はタリル空港での砂嵐発生が原因らしい。C-130の離発着に制約を受けているようだ。

 コンボイ駐車場で体勢を立て直し、0850再度出発。
 
 1020何事もなくタリルに到着する。

 パッセンジャーターミナルで見送り&出迎えをやった後、PXへ。「KODAK」の店で写真の焼き増しを頼んだところ、インド人の店員に日本のコインをくれとせがまれる。5円玉と10円玉をあげたところ大変喜んで現像代を15ドルも安くしてくれた。

 帰隊時に、UAVを運んでいる大型車のシートがほどけたためボストン道上でしばらく停車するというハプニングがあり多少とまどったものの無事、帰隊する。  
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