May 28, 2006

J任務調整

 今日は、明日のJ任務(サマワ県庁および警察への訪問)に関する計画作成および調整を実施する。

 明日、訪れるサマワ市中心部は、反政府勢力の一つであるサドル派の事務所等が所在する治安不安定な地域だ。

 ブリーフィングで聞いたところによれば、4月13日に米軍部隊に対する小火器攻撃があったらしい。
 また、市内中心部では、電力不足に対するデモが予定されていると言うことで、デモに巻き込まれないよう細心の注意を払う必要があるだろう。

 明日の気象予測では最大気温57℃ということでまた暑い一日になりそうだ。
  
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May 27, 2006

役務の無断欠勤。。

 警備員として雇用しているイラク人役務の「無断欠勤」は日常茶飯事だ。

 今日、1200~のシフト勤務をする予定だった役務2名が突然の欠勤。代替要因を探すが結局、見つからず。。。

 基本的にイスラム教徒(アラブ人)は約束事や時間にルーズな人が多いと感じる(あくまで私見だが)

 例えば欠勤するにしても普通の日本人であれば勤務先に連絡を入れたり、代わりの人を見つけるなどするのが当然だと思うのだが、こちらの人はあまりそういうのに頓着しない。

 彼らに言わせれば「アル・ハムッドゥー・リッラー(神の思し召しだ)」。。。
全てがアッラーの神の思し召しにされてしまう。。。  
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May 22, 2006

警衛勤務

 今日は宿営地の警衛勤務。

 当然、警衛についても、国内でサマワに模した施設を構築して、その中で何度も繰り返し訓練をしてきた。しかし、現地では細かいところで施設配置が異なっていたり、現地ならではの特性(たとえばイラク人の気質等)があるのでそれらをすみやかに吸収することが大事だ。

 実際、勤務についてみると、現地環境は国内でやった訓練と大きく異なることに気づかされた。

 特に、宿営地前の道路(宿営地南道)はサマワ市内への西側からの迂回路になっていることもあり、その交通量の多さは予想以上であった。

 また夜になるとセレブレーションファイヤといわれる銃声音がサマワ市内のほうから時々、聞こえてくる。これはイラク人の慣習として結婚式等のお祝い事が行われる夜は、市民が上空に向けて祝砲を撃つという慣習があるためであり、その音が聞こえるたびに我々警衛は心臓が縮み上がる。

 またサマワ市内を見ていると、突然、町の一角がふっと、がたびたび停電に見舞われるのも、イラクならではの特徴だろう。これは計画的な停電であり、電力供給が消費に追いついていない為、地区ごとに停電の時間を設けて、なんとか電力需要をまかなっているというのが実情のようだ。  
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May 21, 2006

J任務が砂嵐のため中止

 本日予定していたJ任務(タリル空港への輸送任務)は朝から見舞われた砂嵐による強風の為、C-130が飛行中止になった影響で中止となる。。

 そこで予定を変更してPMはGPS、AM、FM無線機の取り扱い訓練及びタイヤ交換の訓練を実施する。

 サマワのような酷暑環境ではタイヤのパンク、バーストが多いだけに、これらの訓練はしっかりと実施しておく必要がある。

 タイヤ交換に当たっては、エアジャッキ・油圧ジャッキの中から適切なものを選択し、土壌が悪いところではサンドプレートを引いてタイヤ交換を実施する。ジャッキが砂の中にめり込んでいかないようにする為の処置だ。

 LAVのタイヤはそれ自体がかなりの重量がある。なおかつ、LAV自体の重量が4トンと小型トラック並みのため、タイヤ交換といってもかなりの重労働だ。炎天下の中、各人2回のタイヤ交換訓練を終えた隊員達のびしょびしょの迷彩服が、訓練のタイヤ交換の過酷さを物語っていた。

 LAVに積まれたGPSは、LAVの現在位置を随時、本部に送信する為のもので携帯電話とパソコンをつなげての複雑な初期設定を行う必要がある。そのためこの装置の取り扱い訓練も欠かせない重要なものである。

 またLAVに車載されているAM無線機も普段、我々が使い慣れていない装備のひとつである。

 通常、部隊では通信範囲が10キロ以内で事足りる為、到達距離が長いものの、重量が重く、より大規模なアンテナが必要となるAM無線機は使用しない。

 そのため、今回、車載で使用することになったAM無線機の取り扱い訓練を実施した。

 AM無線機は短波帯を使用し、長距離(100キロ程度以上)の通信が可能。  
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May 20, 2006

整備日

 今日は整備日。

 各部隊の位置などを確認する為、宿営地の中を散策する。

 途中で通信幹部のH1尉に会い、サマワにおける任務で使われている通信機、モトローラの説明を受ける。モトローラは一般の民生品を自衛隊が借り上げ、軍用に転用している。周波数は全部で15chを有し、ハンディでありながら宿営地内では確実に通信を確保できる出力を有している。

 通信幹部によると各chの周波数は150MHZ帯を使用しているらしく、特筆すべきはLAV内から他のLAV内にいる人員への通信も可能になっている。これは非常に重要な事で、自衛隊で保有している官製の無線機は周波数帯が30Mhzという短波帯を使用しているため、電波の透過率が悪く、装甲を有するLAV間での通信が不可能なのである。これは、今回の任務のようなLAVを多用し、なおかつ乗車下車を頻繁に繰り返すような作戦には不向きであり、民生品が使用されているのもこのような理由によるものだろう。

 そういえば、今回の任務で共同作戦をとっている豪軍のLOに挨拶をしておく必要を思い出し、豪軍との連絡所に赴く。

 豪軍のLOはタンベル大尉という日本語ペラペラの大尉を筆頭に、ティモシー軍曹、ファーデル上等兵という3人体制で任務についている。彼らTMFG2のメンバーも我々と同様、任務交代の時期が近づいており、次のLO、ジョセフ大尉との顔合わせをする。ジョセフもタンベルほどではないが、そこそこ日本語が話せる。彼がこれからの我々とのカウンターパートになるので、これから連絡を密にする必要がある。  
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May 19, 2006

初J任務! タリル空港への人員輸送


 今日は始めてのJ任務。タリル空港への人員輸送任務だ。

 今回使用するタリル空港までの経路は、我々がイラクへ入国する直前(5月12日)にサマワ宿営地へ生鮮食品を輸送していたコンボイがIED攻撃を受けた経路でもある。
 事故後、初めてこの経路を使用するということで、油断を許さない状況での任務だ。

 前日、ブリーフィングで示された内容は、必然的にタリルまでの経路沿いの脅威情報が主体となった。


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                        <サマワ宿営地に昇る朝日>

 0900、予定通り、サマワ宿営地を出発。順調にBOSTON道を通過、西連絡道に入る。このまま何事もなくいってくれ、という祈りもむなしく、西連絡道からジャクソン道へ入る直前、車間をつめすぎたドライバーによる自隊車両同士の交通事故が起きてしまう。幸いなことに車両の被害はたいしたことがなく、そのまま任務を続行できる状態であったので、前進を再開する。

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                 <車列を組むLAV:車間は広すぎても狭すぎてもダメだ>

 基本的に、我々がサマワで使用している軽装甲機動車(LAV)は、通常の乗用車のような大きさでありながら、車重が4トンもあるため、砂漠地形であるイラクではブレーキの効きが甘くなるということを心に留めておかなくてはならない。

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                          <朝日を受けるLAV>

 交通事故の直後、前方を走っていた豪軍のASLAVがパンクを起こす。普段、めったにパンクなどすることのない車両だけに一抹の不安がよぎる。

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                       <併走する豪軍のASLAV>

 ジャクソン道をしばらく行くと、ヒドル市内へと続く道路が左に分かれる地点(ヒドルIP)に、IED攻撃を受けたコンボイが置き去りにされていた。

 真っ黒に炭化したトレーラ付コンボイが路肩に放置されている。

IED


 前任者の話によると、IEDは荷台の部分に直撃したものの、運転席への直接の被害は免れ、ドライバーは無事であったということだ。しかし、運転席を含め全体が炭化した姿をみると、ドライバーが無事とは、にわかには信じがたい。おそらく、荷台部分から出火した火が車両全体に及んだのだろう。

 このような惨状を目の当たりにすると、あらためて自分が戦地にいるんだと実感できる。

 最終的には、大きな阻害事項もなく、タリル空港に到着。ほっと一息つく。

 タリル空港には新たにイラクに入国した自分の小隊の隊員が待ち受けていた。

「小隊長、おひさしぶりです。再会を心待ちにしてましたよ。イラクでのね」
「こっちはおまえの顔なんか見たくもなかったがな」
「ひでえなぁ」

 小隊の隊員と冗談を言い合うとほっとする。

 再会を喜び合うのもつかのま、早速、サマワ宿営地への帰隊準備にうつる。あまり長居はできない。

 タリル空港からの出発態勢が完了し、いよいよ出発の段階になったとき、サマワとの通信系からタリル空港に対する曲射火器による攻撃がなされた模様という通報が入ってきた。

 「曲射火器による攻撃! 総員LAV内に退避、じ後の指示を待て!」

 それまで、空港内にあるウル遺跡を見学するなどして、のどこかのんびりとした雰囲気でいた我々であったが、この通報に、一瞬、全員が気持ちを切り替えて待機態勢に移行する。

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                     <タリル空港内にあるウル遺跡>

 曲射火器による攻撃は、タリル空港から5キロほど北東に離れた地点から4発が発射され、そのうち、3発が空港内に着弾、不発であった模様の旨が、共同作戦をとっている豪軍からの無線で情報としてもたらされた。

 豪軍はこれらの情報を多国籍軍が保有している対砲迫レーダからの情報で獲得している。

 イラク国内の主要都市は、砲迫攻撃がされた際の対処をするために、対砲迫レーダが網の目のように張り巡らされているのだ。
 
 空港内での一時待機を命ぜられた我々は出発時刻が1時間程遅れたものの、その日のうちにタリル空港を出発することができた。

 状況が悪化するようだと、ゲートチェックが強化され、下手をするとゲートが封鎖される。空港内から出ることができなくなる恐れもあったため、何とかサマワに帰ることができそうで、ほっとする。

 帰隊経路上は、それまで以上に気を使って帰る羽目になったが。。。

children

                      <車列に群がるイラクの子供達>
  
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May 18, 2006

整備日は翌日の準備

 今日は久々に何も任務がない日、整備日だ。

 午前中、洗濯をして、残った時間は報告書の作成等を行う。

 午後は、次の日のJ任務に使用する車両、軽装甲機動車(LAV)の装備品を確認する時間にする。車両への積載品をチェック。

 ファーストエイドキット(三角巾、救急包帯(大・小)、クイックロット(救急止血剤)、止血帯、マウスピース、固定帯)、火工品(焼夷筒:無線機破壊用)、タイヤ交換用ジャッキ、サンドプレート、ビデオカメラ、携帯・衛星携帯電話機(ノキア、イリジウム、スラヤ)、GPS、IRフラッシュ装置、夜間暗視装置(V-3、V-8)などを確認する。

 夕方からは翌日のJ任務の為のブリーフィングに参加。

 明日の任務は宿営から150キロ南東にあるタリル空港に行き、やってくる派遣隊員を出迎える任務だ。

 タリル空港までの経路はボストン-ジャクソン道。5月12日に輸送トラックがIED攻撃を受けて大破した事案があったばかりのIED脅威の高い経路だ。

 ブリーフィングでは、治安情勢や警備任務の上での豪軍との共同要領、VBIED(車両積載型のIED)情報、テロ勢力への武器流入情報、経路沿いの脅威情報などが伝えられた。
  
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May 17, 2006

宿営地外での任務

 宿営地外で復興支援等の任務を行う場合、警備を行う我々には二通りの任務が付与される。

 一つは活動部隊に同行し、部隊を直接警護する任務で、通称「J任務」と呼ばれる。
 もう一つは活動部隊に不測事態が生起した際に増援部隊として駆けつける「QRF任務」だ。

 QRFとはクイック・レスポンス・フォースの略で、駐屯地外で活動している部隊に不測事態が発生した場合における対処を行う。

 QRF任務につく場合、朝集合してLAM(携帯対戦車弾)を申し受ける。その後、QRF用の車両が駐車されている駐車場に向かい、交代するまでの間に車両点検、通信機の点検、積載品の確認等を実施する。

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           <宿営地外での警備任務に使用する車両 上:装輪装甲車 下:高軌道車>

 その後、本日のJ任務部隊の行動に関する事項を伝達し、準備訓練等を実施した後、待機態勢に移行する。

 基本的に待機態勢に入ってからの行動は、戦闘服と半長靴を履いていれば行動は自由な為、厚生センターで電話をしたり、メールをしたりする隊員が多いようだ。

 今までQRFが実際に出動した事例は少ない。交通事故での出動と訓練でのMEDEVAC(患者緊急輸送オペレーション)で数回といったところらしい。


 J任務につく場合には、より周到な準備が必要になる。

 まずJ任務実施の2日前にはJ任務のための業務調整を行う部門(施設部隊や衛生部隊等)に当日の任務実施場所や時間計画等の打ち合わせに行く。これをもとに警備計画のアウトラインを作成する。

 1日前になったら中隊長の指導を受ける。
 それとともに、行動証明書と呼ばれるJ任務のための出門の際の通行手形のようなものを決済を受ける。その後、豪軍のLO(連絡将校)との調整を実施し、当日の行動の流れや警備任務の区分などを調整する。

 当日の朝は出発前の1時間くらいを使用して警備予行を実施する。

 予行は宿営地内にJ任務を実施する場所に模した簡易施設等を構築して、実際の流れに沿って人員や車両を動かして、何度も警備の動きを確認する。

 大切なのは不測事態(襲撃や狙撃)が起きた場合の訓練を、様々なシチュエーションに沿って何度も反復訓練することだ。

 そうすることで、万が一、不足事態が起きても、混乱状態に陥ることなく淡々と対処行動ができるようになる。  
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May 16, 2006

宿営地警備任務

 サマワ宿営地に入るためには、0、1、2、3Gの4つのG(ゲート:チェックポイント)を通過する必要がある。

 そのうち0Gの警備には4名の現地イラク人を雇用。彼らの中には、自衛隊がサマワにおいて活動を開始してから働いているベテランもいて、ある程度の日本語なら十分に使いこなす。

「コンニチハ!オゲンキデスカ?モウカッテマッカ?」
 なかには過去の派遣隊員から変な日本語を教わっているものもいる。

「シュワイヤ、シュワイヤ、シュクラン(ありがとう!)」
 こちらはそれに対し、片言の覚えたイスラム語を駆使して返答する。それぞれが相手の国の言葉を話すことにより、より親密感が生まれ、信頼関係が生まれる。



 夜、猛烈な風と共に砂嵐が襲来する。風速は30m位か?クウェートのそれと違い、多量の砂が含まれているため、目を開けていられないのはもちろん、鼻や口、耳から多量の砂が入り込んでくる。

 翌朝、起きてみると、多くの天幕や装備品が飛ばされているのが確認された。

 イラク、恐るべし。。。  
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May 15, 2006

着後ブリーフィング(その2)

 今日は昨日に引き続き着後ブリーフィング。
 宿営地外に出て宿営地周辺の警備状況等を確認することにする。

 サマワ宿営地の北側にはユーフラテス川を源とする運河が流れており、自衛隊は浄化する水源としてその運河から水を引いている。その運河地域と宿営地の間の警備の為、定期的に巡察を実施しており、その巡察車両に同乗して、実際に運河地域を見に行くことにする。

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                  <宿営地横を流れるユーフラテス川支流の運河>

 運河まで来てみると、運河は予想以上に水量も多く、運河の両岸には水草も生えていることがわかる。イラクのような酷暑環境においても緑が見られることに驚嘆を覚える。
 サマワにおいては常時豊かな水量を供給するユーフラテス川があるからこそ、発展し、文明が成り立っていることが実感できる光景だ。

 宿営地周辺の警備状況を確認すると、宿営地周辺には外柵が張りめぐされており、その内側に宿営地から運河までを巡察できる道路があり、その内側に有刺鉄線、壕、土手という具合に3重の警備線が張り巡らされている。

 また有刺鉄線には赤外線センサーが併設されている他、壕の内側には探照灯と監視カメラが備え付けられ、鉄条網等をかいくぐろうとする侵入者を確実に発見できるような構成となっている。

 また、土手については外部からの宿営地内部の監視を阻止するという役割も担っている。

 宿営地内に入る為のゲートの配置は日本国内でやった事前訓練と同様であり、今まで訓練でやった成果が発揮できそうだ。

 しかし、この猛烈な暑さは、今だ体験したことがないものであり、猛烈な暑さのため外(直射日光下)に1時間も立っていると、多量の汗のせいで脱水症状になるのが実感できる。

 この季節になると、体から失われる水分量が、体が摂取できる水分量を超える為、屋外にいるだけで、確実に熱中症に一歩ずつ近づいていくらしい。体から失われる水分量が吸収できる水分量を凌駕する為、どんなに水分を飲んでも、着実に熱中症への道を歩んでいくわけだ。

 本日は方面総監が来隊ということで夕食は食堂で立食パーティー。から揚げとエビチリだけというメニューが物悲しい。

 久しぶりにF2尉に会う。彼は復興業務支援隊の一員として2月からすでにサマワ入りしていて、サマワ勤務のベテランである。再会を喜ぶ。

 日本出国以来、初めて日本に電話をする。サマワ宿営地にはTV電話が常設されており、日本にいる人とテレビ電話で週に30分まで会話できる。もし日本に居る人がFOMAを持っていれば、日本国内のどこにいてもイラクとテレビ電話が楽しめる。

 ITの進化が「世界」を小さくしているようだ。  
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